社会福祉士 勉強ノート

社会福祉士資格試験に向けての勉強ノート。個人用メモなので興味ある方は話1/10程度にお読みください。

220614の勉強

きょうの勉強時間 1:47
累計勉強時間 51:34

 

カテゴリ名正しい自信ないのであした確認すること。

少し間が開いてしまった〜。

あんまりのんびりする余裕がないくらい分量あるので、スラスラ読もうと思う。この冊子は特にスラスラ読める部類だ。

 

てか実習の申し込みするの忘れてた……愚か。

初回レポートを書き終えての雑感

あとはあした最終確認して提出する。
いまから印刷。あした朝もう一回読んで赤入れ&反映&再印刷して、封筒に入れて郵送する。論旨は大きく変えないが、表現や誤字の確認を中心にする。

 

レポートを書くのがすごく楽しかった。
レポートをロクに書かなかったこれまでの人生。「文献を入手して引用部分を探して論を構築するというのはこういう作業なのか!」と、今回初めて体感した。論文ってのもこうして書くのが正しい姿なんじゃないのか。6年ほど前の卒論はずさんなものだった……。

 

今後やるべきことも見えた。
というか、見えるような論の組みかたをした。今後の学習や実務ではこういうことを意識したい、というのを言葉にしてレポート内にしたためた。「そういうものはレポートには要りません」って言われる気もするが、僕の決意表明は僕が提出するレポートに書くべきだと思うので、書く。

 

自分の論を構築している感がとても良かった。
オリジナリティを出すことを最大の狙いとした。僕にしか書けないレポートを書くことを意識した。その結果、昔読んだダイバーシティに関する本を引用するという挑戦に出た。レポート設題集の中に「参考にすべき参考文献一覧」リストがあるのだが、かすりもしない本を選んだ。採点者も戸惑うと思う。

 

そのために、突飛もない本をまた読みたい。
福祉に関する本だけでなく、様々な本から絡めて論を構築したい。今回でいうと、近代史への弱さが露呈した。産業革命とかフランス革命とか太平洋戦争とか、なんとなくしか知らないもんね。近代史だけでなく、ダイバーシティとか哲学とかマルクスとかにも触れておくと、後々コネクティングザドッツみを味わえそうだ。

 

語彙力を豊かにしたい。
ここまでの段落もそうだけど、ボキャ貧が否めない。気の利いた言い回しをサラリと使いたい。言葉遣いの学習や模倣まで見通して、文献に当たるのが重要だ。書くときにも安易な表現に逃げないよう、戦っていきたい。

 

テキストの通読は必須ではない。
と書くと、短大の先生が見たら怒りそうだが……。とにかくレポートの設題を中心に考え、わからない単語や概念を調べる行為に、テキストのページをめくらせるべきだ。テキストの目次通り、系統立てて書かれた文脈よりも、自分の興味に従ったほうが頭にも刻みやすそうだ。テキストの通読が苦行だったと最初に言ったが、もうしない。次の提出に向けて、あしたは設題の確認から始めよう。イシュードリブンってこういうこと?

14 レポート作成の道のり

220602 概念整理
 きょうの勉強時間 0:34
 累計勉強時間 40:55

220605 書き上げ!
 完全に甘かったわ。問いがそこまで難しくなかったからこそ、まあなんとか作文はできたものの。
 国と県の障害者基本計画を参照した、特色としてこんなことが書かれていた、と書いたのだが……めちゃくちゃ付け焼き刃で情けなさすぎる……
 (てか市の計画も参照しろよって感じやし、最悪すぎる……)
 どちらも80頁くらいで分量めちゃくちゃあったのだが、通読できれば良かった。
 きょうの勉強時間 1:19
 累計勉強時間 49:47

 

障害者基本法

心身障害者対策基本法(1970)⇒障害者基本法(1993改正)

国際障害者年(1981)の基本理念「完全参加と平等」が取り入れられた。
第3条 基本的理念「すべて障害者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機械を与えられるものとする」など。
法律の題名の変更理由……広く「障害者」についての基本的な考えかたや方針を定める、という趣旨。
障害者基本計画 国……策定義務、都道府県、市町村……策定努力義務
公共的施設の利用(第22条の2) 障害者の社会参加におけるバリアフリーの重要性を認め、国および地方公共団体に対しては、公共的施設の構造、設備の配備等について配慮をしなければならないとし、また、公共的施設を設置する事業者に対しても便宜を図る努力を求めている。

改正(2004)

障害者の社会への参加、参画をより実質的なものとするには、障害者の活動を制限し、社会への参加を制約している諸要因を除去するとともに、障害者が自らの能力を最大限発揮し、自己実現できるよう支援することが求められる
基本的理念(第3条 第3項)何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない ※これが差別禁止につながる
障害者基本計画
 都道府県、市町村……義務
教育(統合教育の考えかた)

改正(2011)

障害者の権利に関する条約(2008発効)
障がい者制度改革推進本部 障害者権利条約の批准に向けて、障害者基本法改正、障害者自立支援法改正、障害者差別禁止法制定等、国内法の整備を始めとする障害者にかかる制度の集中的な改革を行うこと

法の目的(第1条)全ての国民が、障害の有無によって別け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現する

定義(第2条)社会的障壁;障害がある者にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、観光、観念その他一切のものをいう (社会モデルだ!)

差別の禁止(第4条)
合理的配慮の考えかた!本文持ってくること。e-govで良いのかな?

 

障害者基本計画

兵庫県、神戸市の最新のものを参照し、気になる部分を抜粋するのが良いのでは?ありやな……

06 レポート作成の道のり

更新履歴

220530 概念やや整理。
 きょうの勉強時間 0:37
 累計勉強時間 36:39

220602 赤字で加筆。
 きょうの勉強時間 1:22
 累計勉強時間 40:21

220604 青字で加筆。
 きょうの勉強時間 0:16
 累計勉強時間 46:30

220605 緑字で加筆し書き上げ完了。
 参考文献4冊、1636字。
 真のダイバーシティを目指しても採用したけど、ちょっと情報不足感は否めない。
 僕の今後の課題として、書籍や実践者から態様を学ぶことを示しつつまとめた。
 レポートとして良いまとめかたになっていると思うし、ってかそれが大事な課題だってマジで身にしみてるんだよな……
 マジなんだよ……
 きょうの勉強時間 1:14
 累計勉強時間 47:44

 

概念整理

権利擁護

概念;(テキスト完コピ)
人の有する、守られるべき権利を守ること。(p111)
権利擁護の対象となる人の意思と主体性が十分尊重され、エンパワメントされていくことが求められる。(p111)
権利擁護という名称の業務に従事するときに、一人ひとりの利用者の守られるべき権利を守ろうとし、その過程で本人の意思や主体性を十分に尊重し、エンパワメントすることを心がけるべきである。(p112)
アドボカシーは、代弁機能や、人々の奪われた権利の復権を支援することに力点がおかれた概念である。(p112)

ソーシャルワークと権利擁護 : “契約"時代の利用者支援を考える』(借りる予定)

態様;(テキスト完コピ)
権利が侵害された状態からの回復を目指すソーシャルワーク実践(p114)
すでに深刻な権利侵害が生じており(…)強いはたらきかけが必要となる。(p114)
公権力の行使(p114)
ソーシャルアクション(p115)
保持している権利を守る、守り続けることによっても遂行される。(p115)
深刻な権利侵害状態が生じる前に予防的に行うソーシャルワーク実践(p115)
成年後見制度や日常生活自立支援事業(p115)
就労準備支援や自立相談支援(p116)
社会全体の偏見をなくしていく(p116)←これをキーフレーズとしてまとめたいな
障害者の地域移行支援・地域定着支援(p116)

 

参考になりそうなHP;

(公益財団法人)日本知的障害者福祉協会
http://www.aigo.or.jp/jinken/jinkenpp.html
↑↑ちょっと微妙かも。(今回のレポート上では引用しにくい、というだけです!)

 

権利擁護について、書籍を参照;

ソーシャルワーク論』(空閑浩人/ミネルヴァ書房
情報が相手によって受けとめられ、理解されることで初めて、援助者はその役割を遂行したことになるのです。(p132)
 ⇒ここを重視したコミュニケーションにも焦点を当てたい。知的障害のある人々に対する情報発信は、そうでない人々に対する情報発信よりも丁寧になる必要があるとされる。そのことを十分に意識した接しかたを徹底することでコミュニケーションを確実に行い、その結果 権利擁護を成し遂げることができるのだ。とする主張はあまり見られないと思うのだ!

受容;利用者と援助者との相互のコミュニケーションのなかで、利用者が直面している困難な状況やそれに伴う感情などを、援助者が個別化してとらえ、両者で共有していく営み(p133)
共感;利用者が体験している状況や気持ち、思いや訴えを、援助者の側からではなく、利用者の立場になって利用者の側から理解しようとすること(p134)
想像力を豊かにする必要がある!
判断能力が十分でなかったり、自らの要求を主張することが難しい人々の思いや希望、権利を支持、代弁、弁護することで、それらの人々の権利を護る活動(p136)
権利擁護が重視される背景……介護保険制度(2000年)、および社会福祉法の成立を中心とする社会福祉基礎構造改革 ←これなんやっけ!!
ソーシャルワークにおける権利擁護の実践では、地域のなかで何らかの生活上の困難を抱える人々のニーズに常に敏感であることが求められます。(p138)

ソーシャルワークでは、地域での孤立状態や支援拒否に対して、「もしかしたら暮らしのSOSのサインかもしれない」と認識しての見守りやかかわりが大切(p139)
てかこの本めっちゃ読みやすいぞ。他のページもちゃんと読みたいと思った。

 

介護保険制度、社会福祉基礎構造改革について、04 現代社会と福祉から復習。

介護保険制度の導入まで、高齢者介護は老人福祉サービスとして提供されてきた。(p147)
 措置制度;貧困対策としての意味合いが強い。
 医療機関が高齢者の介護需要を引き受けていた。(a.k.a.社会的入院
 ⇒療養生活に向かないし、急性治療が不要な場合は医療資源の面で非効率。

介護保険制度の目的は、要介護者などが能力に応じて自立した日常生活を営むうえで必要なサービスにかかる給付を行う(p148)
 またそのために共同連帯・社会連帯としての社会保険方式を導入した。
 自立と連帯の理念が介護保険制度を特徴づけている。

社会福祉基礎構造改革とは、戦後に形成された社会福祉の「旧構造」を、さまざまな「変化」に対応するために「新構造」へと転換させようとする改革(p149)
 旧構造;措置制度に象徴される行政主導のパターナリスティックな福祉供給システム
 背景として……
  高齢化が進み、年金・医療・介護などの高齢者関連施策が社会の関心事となった。
  家族形態の多様化が進み、保育・子育て支援施策が社会の関心事となった。
 ⇒社会福祉法が成立したが、「個人の尊厳」「自立(支援)」「参加」「利用者の意向の尊重」「利用者の立場」といった文言の明記。このへんひっくるめて権利擁護と言っても良いでしょう。

 

打浪文子『知的障害のある人たちと「ことば」』生活書院、2018年

現在の社会において知的なコミュニケーションツールとして言語を捉える見方が固まっているため、それができない人たちが常にはじかれている(P.24)

メディアにおける「わかりやすい」情報発信の体制整備と、メディアの分析によるより幅広い「わかりやすさ」に関する学術的知見の集約(P.110)が喫緊の課題である。

 

ダイアン・J・グッドマン著、出口真紀子監訳『真のダイバーシティを目指して』上智大学出版、2017年

第8章を中心に。
共感、道徳的・宗教的価値、自己利益などの理由をもって、特権集団(社会福祉の)の人々が社会的公正の支持に動機づけられる。これらの理由に対する詳細なアプローチは本文では省略するが、これらをうまく組み合わせて家庭や地域の人々に働きかけることから、社会福祉利用者に抱く偏見を緩和していきたい。ただし、実際の現場における事例はまだまだイメージできていない。書籍や実践者から態様を学んでいくことが私の課題だ。

こんなところか……?正直、話が大きすぎて無理やり引用するのもどうかと思ったけど、でもこの本はマジで良くて、この本のエッセンスを絡ませることが僕がレポートをしたためた証でもあると思うので、やっていきたいな。

 

たたき台としての雑記

権利擁護の概念は、人の有する、守られるべき権利を守ることである。福祉支援者の立場においては、利用者の意思と主体性を十分に尊重し、エンパワメントしていくことが必要とされる。権利擁護を実践する際に心がけるべきことは、利用者の守られるべき権利を守ろうとし、その過程で本人の意思や主体性を十分に尊重し、エンパワメントすることである。支援者は、本人の意思や主体性を代弁する機能を持つことを自覚し、それを活かすことが求められる。

権利擁護は様々な態様において行使される。すでに権利侵害が生じている状態においては強い働きかけが必要である。個人規模では公権力を行使した介入など、社会的規模では障害者虐待防止法の制定を求める社会活動などである。また、権利侵害の予防を目指した支援も想定されている。個人規模では成年後見制度や日常生活自立支援事業(これなんやっけさ!!)による個別支援など、社会的規模では権利侵害状態んい陥る危険性の高い人たちに対して、社会全体の偏見をなくしていくことなどである。

権利擁護の活動において、空閑浩人は『ソーシャルワーク論』(ミネルヴァ書/p132)において「情報が相手によって受けとめられ、理解されることで初めて、援助者はその役割を遂行したことになる」という。支援者(援助者)は、利用者の状況やニーズを可能な限り正確な情報として受容し、理解し、共感することが重要である。

一方で、知的障害のある人にとっては情報の受発信に困難さを持つケースが非常に多い。打浪文子は、現在の社会では知的なコミュニケーションツールとして言語を捉える見方が固まっており、それができない知的障害のある人が常にはじかれていると言う(打浪文子『知的障害のある人たちと「ことば」』生活書院、2018年、P.24)。社会福祉士のミクロな視点からは、当事者とのコミュニケーションにおける、わかりやすく丁寧な言語表現が必須である。さらにマクロな視点では、メディアにおける「わかりやすい」情報発信の体制整備と、メディアの分析によるより幅広い「わかりやすさ」に関する学術的知見の集約が望まれる(同P.110)。

社会福祉の支援者にとって、利用者との信頼関係を構築するための丁寧なコミュニケーションは欠かせない。しかし、知的障害のある利用者にとっては「丁寧さ」だけでは理解しきれない、一層の配慮を伴った情報保障が望まれる。相談援助における権利擁護をより高度なものにするために、私は情報保障の観点を踏まえたコミュニケーションを利用者と持っていきたい。

 

ここまでで886文字。肉付けはするけど削ぎ落としもするので、もしかしたら「社会全体の偏見をなくしていく(p116)」についての段落も増やすかもしれない。その場合は『真のダイバーシティを目指して』を引きつつ、持つべき心構えはイメージがあるが、具体的な取り組みはまだイメージできていなくて、今後の課題である……という愚直な落とし所にしようと思っている。

現時点で1066文字。権利擁護の態様が明らかに情報不足。もっと書こうと思えば書けるので、ここは文字多く明確にまとめて良い。あした頑張ろう。

04 レポート作成の道のり

更新履歴

220530 大枠調べ終え、推測まで完了。
 きょうの勉強時間 1:53
 累計勉強時間 36:02

220601 赤字で更新
 きょうの勉強時間 1:05
 累計勉強時間 38:59

220603 青字で更新
 きょうの勉強時間 2:58
 累計勉強時間 43:53

220604 緑字で更新
 きょうの勉強時間 2:21
 累計勉強時間 46:14

220605 書き上げ完了。
 興望館のくだりは不採用とした。ネガキャンみたいやし。
 参考文献4冊、1638字。トインビーのくだりも無理やり入れた。馬鹿古い本せっかく参照したし。
 考えてみれば産業革命の負の一面とかまったく知らなかったよなあ。
 そこを学びまとめるにあたって、社会福祉士として大切なことは何?を言語化できた。超良い学びであった。
 きょうの勉強時間 0:44
 累計勉強時間 48:28

 

概念整理

アーノルド・トインビー

セツルメント運動の発起人のひとり。セツルメントの父とも。
貧困問題への取り組み。
スラム街の司祭 サミュエル・バーネットに影響をうけた。
労働者教育とそれに伴う意識の向上・環境整備 を解決しようとする。
これを行うための施設こそがセツルメントだ。
アーノルドの理想を体現するための福祉施設としてのセツルメントであるトインビー・ホール。
これを以てアーノルドは福祉事業の先駆者として扱われる。

観光コースでないロンドン : イギリス2000年の歴史を歩く/もっと深い旅をしよう』(借りる予定)
英國産業革命史』(借りる予定)
『セッツルメントの研究』(借りる予定)

19世紀のイギリスの工業化

・休耕地をなくした四輪作の導入
 (四輪作;コムギ⇒カブ⇒オオムギ⇒クローバーの四圃輪栽式農法)
・囲い込みによる集約的土地利用
 (囲い込み;細かい土地が相互に入り組んだ耕地を統合し、所有者を明確にしたうえで排他的に利用する)
などによって、中小の農民が自営農から賃金労働者に転落した。

↑↑いや、このへん違うな。却下。

工業化に従って、鉱工業に従事する労働者の数が増えた。
労働者の生活水準は非常に低かった。児童労働などの問題もあり。
1811-12年 ラッダイト運動 などで抗議活動もあり。
現時点の見立て……これによる貧困層を救うための、福祉施設としてセツルメント運動が展開された?ここ要確認。

 

社会福祉の歴史研究』(一番ヶ瀬康子)※太字は完コピ

1873年 恐慌 帝国主義段階への移行期。
労働者階級の貧困に対するキリスト教社会主義者や理想主義者などのはたらきかけからはじまった(p217)

トインビー・ホールの創始者 バーネットによる、セツルメント活動の説明;
ある近隣地区に住み込み、自己のその生活に同化せしめて、その実情を知り、かつ改善せんとする人々のグループ。彼らは、相互に学び合うこと、各々の経験を通じて、彼自身のみならず、国民全体に、より豊かな生活を築き上げる方法を習得させようとする

セツルメントは、慈善事業が社会事業に転化する中間過程として注目される。

アメリカ;
1882年アメリカで恐慌 資本主義の急速な発展と高度化にともなう労働力の受容に対して、移民は急激に増えていった。(p87)
1880年代より、しだいに、北欧、西欧からの移民に比し、東欧、南欧からの、字が読めない不熟練労働者;新移民(p87)
各都市で3~40%の失業者が生じた。帰国やオーストラリア、西部への移住もままならず、都市に滞留せざるを得なくなっていった。
1881年 熟練工の組織化が推進。ともなって、不熟練労働者が組織労働者から排斥されていった。結果、1890年代になると、大都市においては、工場外と住宅街の生活状態の差、とくに、不熟練労働者の多いスラム街の問題が、目立ってくるようになってきた。(p91)

連邦政府、州政府は無関心。慈善局(1869年マサチューセッツ州に設置がはじまり)も働き乏しい。
ニューヨーク市 1874年で10万人(=労働人口の1/4)が失職。「働く能力をもった大な貧民」

セツルメントで具体的になされたこと というかこれは理念?;(p100)
・働く人々の組織化
・労働運動が歴史的に発展するための意識付け
・労働運動の究極的な倫理的な目的を強調
具体的なアクション;読書会、託児所、スポーツや演劇、音楽のための少年倶楽部など

慈善組織化運動;労働者の運動に対して、個人的な道徳観で非難
セツルメント活動;社会的な認識にたって、それを助成

日本最初のセツルメントは?

西内潔によれば、石井十次明治23年に設立した相愛夜学校、南部日曜学校など?(p226あたり)
エジュケイショナル・セツルメント

大林宗嗣によれば、大森兵蔵明治43年に設立した有隣園。
その事業は幼稚園、児童遊園、児童図書館、児童クラブ、寄る学校、英語学校、土曜会など。

だが、以上のいずれも共通していることは、その当初のなりたちが、セツルメントのエッセンスであるところのものは、全く無視されていたということである。すなわち、対象を労働者階級として意識し、それとの連帯で民主主義的活動を形成しようとした姿勢とは、何ら関係のない慈善事業であったということである。(p227)

一番ヶ瀬の考えによれば、片山潜明治30年(1897年)に設立したキングスレー・ホールである。
片山の動機は苦境において学問を為すことへの志向。米国、英国を訪れ社会、慈善事業を視察。監獄、感化院、孤児院、貧民院などを見学。トインビー・ホールの附属建物であるベリオール・ホールにも宿泊。
キングスレー館は一階が小さな保育園で二階が住宅。表面上のしごとは保育園であった。社会問題の講演会も頻繁に開いた。
しかし、明治34年頃を境に数年後に閉館となった。昭和33年 治安警察法。このへんムズいな……(p233あたり)
片山もキリスト教徒?その思想がセツルメント活動に影響を及ぼしている?

現在も存続しているセツルメントは?

キリスト教 興望館東京スカイツリーのあたり)
仏教 マハヤナ学園
いずれも児童養護施設、保育園を主に現在も稼働している様子。設立の理念や系譜の中に「セツルメント」の言葉は特に見当たらず、まあ~~それはそうだよね。

ただしこのセツルメントのありかたについては諸説あり、一番ヶ瀬もこのように言う。つまり、セツルメント自体の本来的な性格を無視し、その形体を模倣することによって、国民生活の受容に対応することにより、「帝国主義的独占資本主義のもたらした階級分裂の激化をごまかし、下からの闘争を弱め、結局は国家独占資本への奉仕を結果するのに外ならぬ」(社会事業研究会『社会福祉読本』38頁)ものであったといえよう。(p248)
激烈やな。でもこの指摘が、ではなぜ慈善事業ではいけないのか?を考える取っ掛かりにもなるし、その点で言えば的を射ていると感じた。
この社会福祉読本はぜひとも参照すべきものなんやろな~~。神戸市の図書館にはなさそうだ。

東京帝国大学セツルメント

これこそもっとも本来的セツルメントともいうべき、大学セツルメント(…)。代表的なものは、東京帝国大学セツルメントであった。(p250)
末弘厳太郎による趣意書が激アツである。

此の独占者が其の天与の幸福を感謝しつつ其の割き得べき一日一時の余暇を彼等貧しき人々のために捧げ、以て、其の智識を彼等に分与する事は、社会国家のために大いに意義ある仕事と云はねばならぬのみならず、正に彼等幸福なる独占者当然の義務なりと云はねばならぬ。(p251)
これを読むと、なるほどこれこそトインビーの意志を引き継いでいるなと感じる。し、前出のセツルメントらが「慈善事業的正確が完全にぬけきっていないまま、形体的模倣のもとに出発したもの(p240)」と言われることにも納得できる。

大学セツルメントの存在した意義は、労働運動や社会運動に連なる学生運動の中から、学生のち生とヒューマニズムと正義と熱情で最初から労働者の中に入った運動で、しかも学生は教授団の支えがあったことにより、一層実践をスムーズに行いえたということであろう。(p255)
「教授団の支え」というところはかなり重要な点になる気がする。若者だけでやりきれたものなのか、は僕が学生運動のうねりの大きさを知らないからこその浅い直感であるだろうが、教授団の支えがあってこそ大きく取り組めるという背景はあるでしょう。

具体的な活動のなかから、学生たちのなかに、しだいに民衆の現実の具体的な生活問題への認識が深まり、それが、それぞれの主体的な生き方の問題にまで、結実していった場合も、少なくなかった。(p256)

日本のセツルメントは世界大恐慌第二次世界大戦の流れで衰退の道をたどる。公立セツルメントの変形としての市民館が、各種の教育強化事業や経済福祉事業(貯蓄組合など)、体育保健、相談指導、慰安娯楽、各種クラブなど(p261)を実施。防貧を強化で補おうとする日本的な不合理に終始した。大学セツルメントもファシズムの嵐のなかで、圧殺せしめられていった(p266)。昭和13年(1938年)、自発的閉鎖。

 

『英国産業革命史』(アーノルド・トインビー)

難しすぎ。本が古すぎ。引用するのは難しい気がする。がとりあえず引きたいならこのへん。
救貧税の上昇は主として共同耕地の囲い込みに起因した、この囲い込みは農場の数を減少させ、また耕地の牧場への転化の結果労働者に対する受容を非常に減少させた(p113)
畑が今では牧場とされ、農業家たちはほとんど労働者たちを必要としなくなった。そのため貧民たちは職を失って、当然教区に扶養されねばならなかった(p113)
現在我々に要求されているのは愛他本能の抑制ではなく、その組織化である。慈善を科学化することが現代の大問題である。(p105)←これなかなか熱くて、またトインビーの根本思想っぽくて良い。

 

『観光コースでないロンドン』(中村久司)

なかなかおもしろい。関連箇所以外も読んでみたい。ちなみにトインビーのと合わせて読むにあたって紅茶を淹れるなどした。

産業革命によってもたらされた弊害として、労働者は労働時間・賃金などの労働条件について雇用主と団体交渉ができなくなった。また、職場で位置労働者が他の労働者と賃上げまたは労働時間短縮のために団結することは違法となった。この法律によって違法となった行為には、労働者が周りの労働者にストライキに入るよう呼びかけることも含まれていた。(p160)
これ最悪やな。これこそ知りたかった!

ラッダイト運動とは;生産の機械化は、それまで紡績や織布の手工業に従事していた業者や職人の生活を脅かした。(…)倒産したり失業する人々も出てきた。(…)政府に救済する姿勢がないのが明らかになると、機械工場の打ちこわし活動を始める者が出てきた。(p160-161)
このあたりが、産業革命が格差や貧困をもたらしたことの背景と言えそうだ。

ビクトリア女王
帝国主義
チャーティスト運動1848年
選挙権拡大運動

第七代シャフツベリー伯爵
貧困者、児童、労働者、精神疾患者の救済
(精神病院の実態、少年の煙突内清掃作業、ブライアント&メイ マッチ会社の女工)
彼女たちのストライキと、それを支持する運動の盛り上がりによって、潜在していた過酷な労働環境、資本家の搾取、貧困、女性の社会的地位などの問題が、社会で急上昇し、多くの人々の目に明らかになった(p200)
セツルメント運動とは;大学教員・宗教家・学生なとが一体となって、社会福祉事業を行うために、貧困地域に入ってそこに住み、そこの地区の住民とともに貧困解消・生活向上を目指す運動(p203)

 

以下、たたき台として雑記。

19世紀はイギリスやアメリカ北東部にて産業革命が進展した時期である。蒸気機関の普及に伴い、機械工業化が進んだ。しかし生産の機械化は、それまで紡績や織布の手工業に従事していた業者や職人の生活を脅かし、倒産や失業に至る人々も多くいた。また、農耕地が牧場とされ、農業家たちはほとんど労働者たちを必要としなくなり、職を失う貧困者も多くいた。(アーノルド・トインビー『英国産業革命史』p113)

政府に救済する姿勢がないのが明らかになると、機械工場の打ちこわし活動を始める者が出てきた。また、労働時間・賃金などの労働条件について、労働者から雇用主への団体交渉を禁ずる法律もできた。職場で一労働者が他の労働者と賃上げまたは労働時間短縮のために団結することや、労働者が周りの労働者にストライキに入るよう呼びかけることは違法とされた。(中村久司『観光コースでないロンドン』P.160~P.161)。

労働者の労働環境は過酷なものであった。ブライアント&メイというマッチ製造会社の女性工員たちによるストライキ、及びそれを支持する運動の盛り上がりによって、潜在していた過酷な労働環境、資本家の搾取、貧困、女性の社会的地位などの問題が、社会で急上昇し、多くの人々の目に明らかになった(中村久司『観光コースでないロンドン』P.200)

結果として労働効率の悪い不熟練労働者の解雇が進み、ニューヨーク市では4人に1人が失業した。1890年代になると、大都市においては、工場外と住宅街の生活状態の差、とくに、不熟練労働者の多いスラム街の問題が、目立ってくるようになってきた。(一番ヶ瀬康子『社会福祉の歴史研究』p91)

セツルメント運動は、こうした労働者階級の貧困に対するキリスト教社会主義者や理想主義者などのはたらきかけが元となる運動である。イギリスはイースト・ロンドンに設立されたセツルメントであるトインビー・ホールの創始者、バーネットはセツルメント活動を次のように説明した。つまり、「ある近隣地区に住み込み、自己のその生活に同化せしめて、その実情を知り、かつ改善せんとする人々のグループ。彼らは、相互に学び合うこと、各々の経験を通じて、彼自身のみならず、国民全体に、より豊かな生活を築き上げる方法を習得させようとする」(一番ヶ瀬康子『社会福祉の歴史研究』P.91)。この手法はアメリカにも取り入れられ、ハル・ハウスが設立される。

ハル・ハウスが掲げた理念は、①働く人々の組織化 ②労働運動が歴史的に発展するための意識付け ③労働運動の究極的な倫理的な目的を強調 などである。具体的な活動として、読書会、託児所、スポーツや演劇、音楽のための少年倶楽部などがある。労働者間の連携を確保し、労働者の権利主張としての労働運動をすることの必要性やその手法を、脈々と引き継ぐ狙いがあった。

日本でも興望館やマハヤナ学園といった民間セツルメントがあった。児童養護施設、保育園として現代も機能しているが、これらの設立理念に対しては疑義もある。対象者を労働者階級と据えず、労働者の連帯による民主主義的活動の形成を狙わない事業姿勢は、トインビーが志したセツルメントのエッセンスとは関係のない慈善事業であったとする向きも強い。(一番ヶ瀬康子『社会福祉の歴史研究』P.227)

一番ヶ瀬は「セツルメント自体の本来的な性格を無視し、その形体を模倣することによって、国民生活の受容に対応することにより、「帝国主義的独占資本主義のもたらした階級分裂の激化をごまかし、下からの闘争を弱め、結局は国家独占資本への奉仕を結果するのに外ならぬ」(社会事業研究会『社会福祉読本』38頁)ものであったといえよう。(一番ヶ瀬康子『社会福祉の歴史研究』P.248)

トインビーの意志を継いだセツルメントとしては、一番ヶ瀬は東京帝国大学セツルメントを挙げている。末弘厳太郎による趣意書では「此の独占者が其の天与の幸福を感謝しつつ其の割き得べき一日一時の余暇を彼等貧しき人々のために捧げ、以て、其の智識を彼等に分与する事は、社会国家のために大いに意義ある仕事と云はねばならぬのみならず、正に彼等幸福なる独占者当然の義務なりと云はねばならぬ。」(一番ヶ瀬康子『社会福祉の歴史研究』P.251)とある。福祉を志す者として、ニードを有する人々への近接、そして人々に隣接した具体的活動のなかから、現実的な生活問題を認識することの重要性を、セツルメント運動の歴史から私は改めて認識できた。

日本のセツルメントは世界大恐慌から第二次世界大戦の流れで衰退の道をたどる。防貧を教化で補おうとする日本的な不合理に終始した。大学セツルメントもファシズムの嵐のなかで、圧殺せしめられていき、1938年の自発的閉鎖を迎えた(一番ヶ瀬康子『社会福祉の歴史研究』P.266)。しかし、社会的視点に立ってそれを助成するという理念は社会福祉の根底を支えており、現代の福祉事業の礎を築きはじめてきている。

 

雑に書いたけどここまでで900字。引き続き多少の肉付けが必要である。

これで1919字か!思ったよりなげえ。引用とかどこまで書けばよいかわかんないが、残りは入力時に整えます。

220530の勉強

きょうの勉強時間 1:15
累計勉強時間 37:54

 

ここ絶対覚えときたい。
事業所管理者;職員の人事管理を中心
サービス管理責任者;サービス提供を行う職員に対しての指示命令機能を中心

いやはや、しかしレポートにまとめられるかな……。

220529の勉強

きょうの勉強時間 1:13
累計勉強時間 34:09

 

障害者政策は僕が当事者に近いからイメージしやすいけど、高齢者や児童になってきたとき、イメージしきれるか少し不安。